なんだか怖そうなタイトルになってしまいましたが・・・・。

先日、「血天井」で有名な「養源院」さんへ行って参りました♪
場所は京都市東山区の三十三間堂の東向にあります。

京都駅から市バスでも行けるようですが、タクシーで行きました🚙
ワンメーターぐらいでしたよ(*´з`)

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↑「血天井」と立て札に書かれています。

さて、「養源院」とは。

豊臣秀吉の側室「淀殿(茶々)」が父「浅井長政」の追善の為、長政の二十一回忌に秀吉に願って
養源院を建立した。養源院とは浅井長政の院号です。

火災で焼失した後、徳川秀忠の正室「崇源院(お江)」の願により伏見城の遺構を用いて
再建したのが今の本堂である。
以来、徳川家の菩提所となり、歴代将軍の位牌を祀っている。

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なるほど、歴史好きの方ならもうピンと来ているでしょう。
「淀殿(茶々)」は浅井長政とお市の方の長女。そして「崇源院(お江)」は3女。
そう!あの浅井三姉妹です。

しかし浅井三姉妹はとても興味深いです。
母のお市の方は「織田信長」の妹。
姉の茶々は天下人「豊臣秀吉」の側室。
妹のお江は将軍「徳川秀忠」の正室、「徳川家康」の嫁、三代将軍「徳川家光」の母
そして後水尾天皇の中宮和子の母。

・・・と戦国時代の主要人物勢ぞろいです。
結局、小谷城が落城し浅井家は滅亡してしまったけど三女のお江によって
浅井家の血は受け継がれていくんですよね。

本堂の左側の厨子には「浅井長政」「徳川秀忠」「崇源院」のお位牌が安置されています。
そのお写真を見ることが出来るのですが「徳川秀忠」「崇源院」のお位牌には
「菊」「葵」「桐」の御紋があります。
「菊」は天皇家、「葵」は徳川家、「桐」は豊臣家の御紋です。この3つの御紋を同時に拝見できるのは養源院さんだけ!だそうです。

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こちら本堂の外観です。葵の御紋を見ることが出来ます。
内部は撮影禁止なのでお写真はここまで。

中に入って拝観料500円をお支払いすると「少しお待ちください」とのこと。
こちらは自由に拝観するのではなく、お寺の方がそれぞれの部屋や廊下を
説明して下さいます。順番に廻っているのでその説明のグループに入るまで・・・。
ということみたいです。

さて、「血天井」について。
天下分け目の「関ヶ原の戦い」の直前、徳川家康に伏見城の留守居を任された
鳥居元忠以下約2000名の武将たち。徳川家康は上杉征伐の為、伏見城を留守にします。
その間に石田三成率いる4万の軍勢が伏見城を攻撃します。
必死に抗戦しましたが多勢に無勢・・・。ついに力尽き、鳥居元忠ら380人の武将は
「中の御殿」に集まって自刃しました。
関ヶ原の戦いの戦後処理が終わるまで約2か月間遺体は放置されたため、血痕や体のあとが
床板に染み付き洗っても削っても取れなくなりました。
そんな徳川家にとっての忠臣達の霊魂を慰める為、養源院の天井に移築されました。
これが「血天井」と呼ばれています。

廊下の天井はぱっと見茶色く汚れているように見えますが、それがすべて血痕です。
説明によると鳥居元忠の体のシルエットも残っているようで、棒で指しながら
「ここが頭で、ここが腕で・・・」と言われてみればそう見えます。
他にも手の指の跡がくっきり残っていますし400年以上前の血痕がここまで残っているなんて。
当時のことを想像しながら見ると感慨深いです。

伏見城の留守居を任された時点で、石田三成の大群が攻めてくるのは明白であり
残っている武将たちが命を落とすことは覚悟の上。
主君の為に如何に長く敵を足止めするか・・・が使命と覚悟した武将たちの想い。
なんだか目頭が熱くなりました。

他にも見どころは沢山!
俵屋宗達の「宗達襖杉戸絵」、「加納山楽の襖絵」。
歩くとキュッキュと音がする「鶯張廊下」と盛りだくさん。
見所ごとに説明をしてくれるのでとても分かりやすいです。

ただ、説明は日本語のみなので外国人が来られても堪能できないかも??
私が行ったときは外国人観光客が通訳さんと一緒に来られて説明を受けていました。

帰り際、お寺の方とすれ違ったのですが思わず
「とても勉強になりました。ありがとうございました。」と深々頭を下げました。
とても小さなお寺ですが、歴史の面白さ、当時の人たちの想いや願いをたくさん
感じることが出来ました。

ただ一つの後悔・・・・。
それは御朱印を頂き損ねたことです😞
御朱印があることを知らず、後で知ったという・・・・。要リベンジです。